5/07/2012

ダマされる人々

久々に本の感想文をふたつ。

最初が「毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」。おもしろ人物のオンパレードである。そして「気が知れない」とはこのことだ。まず第一に、この本の著者:北原みのりはエロ雑誌編集者を経て現在女性向けアダルトグッズ販売の会社の代表をしている「コラムニスト」である。内容よりまず著者の経歴に興味がわく。いったい何がどうなって、この裁判を傍聴し、この本を執筆することになったのか。内容よりまずそっちの方が気になる。

事件の関係者のわけのわからなさといったらこれまたびっくり。初めて合って3日ほどで400万を渡してしまう男。睡眠薬をもられたかもしれないのに、もう一度もられてしまってたのかどうか確かめに再会しに行く男。逮捕直前に付き合い始めて、家の火災報知器をきれいに外されてしまっている男、などなど。木嶋佳苗のこれらの人物へのアプローチはかなりストレートだ。彼女に独特の「上手さ」があったにしろ、こんなことでころころとダマされてしまう人たちってなんなんだろう。

裁判からは、ニュースなどから受けていた「殺人事件」の陰惨な印象をまるで感じさせない。殺された被害者はどこまでも脳天気だ。というのも、被害者は自分が殺されるなどということには全く想像もせずに、幸せの絶頂のうちに亡くなっていってる。まるで殺人が流れ作業のひとつの工程として行われているようだ。殺されている側にも殺している側にも「痛み」が一切感じられない。いや、お気の毒ではあるが、被害者は別の意味で「イタい」。

著者の目線は私たちと同じように興味本位であり、その前で明らかにされていく「状況証拠」は笑いなしには人に語れない。「お前が殺してなくて、なんでこの人が死んでるんだ!」っていうくらい、状況証拠は笑っちゃうほどに説得力がある。なんでこんな女にひっかかっちゃうの? とも思うが、逆にそういうことにひっかかりやすい人をよく選別しているなぁと感心すらする。判決後も木嶋佳苗は朝日新聞の手記で自分表現に余念がないのだ。



2つ目、「もうダマされないための『科学』講義」。買ったのも読み終えたのも去年だけど。執筆者のうち菊池誠氏や片瀬久美子氏は原発事故のあとのtwitterでの発言をちらほら見ていたので興味をもった。というのも、科学とニセ科学、疑似科学についてよく発信される方々だから。

結論から言うと、科学とニセ科学、疑似科学ととは、論理的に区別するのはとても難しいということを再認識した。具体例をあげて、何が科学的で何が科学的なようでそうでないかを見分けるのはそれほど難しいことではない。ただ、一般論として抽象化された科学とニセ科学の境界線は見えてこない。

菊池氏は冒頭で科学とニセ科学の定義をあきらめてしまっている。片山氏も個別のケースについて、科学的な解説がつけられている怪しいものたちを列挙しているにすぎない。

伊勢田氏については、どんどんと新たな言葉を定義して簡単な内容をも難解にしているため、何をいいたいのかすら伝わらない。松永氏の考察は以上での思考ゲーム的で、私のtwitter上でのぼやき程度の内容にしか読めない。

結局のところ、「科学=正しい」という構図の勘違いをベースにしているので、こんな頓珍漢な内容の本が出来上がってしまうのではなかろうか。