12/06/2011

放射能汚染土は海洋底に沈めろ

こう書くと「世界につながっている海を汚すなんてゆるせない!」という感情が湧いてくるかもしれないが、まずは落ち着いて欲しい。最近、一部の理学者が真剣にこれを訴えているそうで、できればこの議論が冷静に検討されることを望んでいる。その理由をまとめてみる。

放射能は濃縮して処分するか薄めて環境に放出するか
放射能の危険を回避するには次のふたつの方法しかない。

  • 濃縮して人の生活圏から隔絶して処分する
  • 十分に薄めて環境に放出する
塵として空気中に舞い散ってしまったもの、海に流れだしてしまったものについてはもう拡散して薄まるのを待つよりほかない。一方、せっかく除染や雨により高濃度に濃縮している放射能は、そのまままとめて処分するべきで、再度環境に撒き散らすべきではない。

放射能の無害化は時間しか解決できない
核物理的な手法を取らない限り、どんな化学的、生物学的な方法を用いても放射能は各核種特有の時間を経ないかぎり減ることはない。原発で生成される放射性核種には半減期が数時間、数日のものから数万年のものまである。問題は人間の寿命よりも長い時間を経ないと十分に減ることのない放射性物質の処置だ。人の寿命どころか、社会の寿命や歴史の長さにも匹敵する半減期のものもある。
こうした放射能を長期間にわたり、人間の生活圏から隔絶させておかなくてはならない。 しかし、自分の曽祖父の名前の記憶すらおぼつかない人間が、その手の届く範疇に危険物を管理し続けることができるのか。

陸地で処分をするのは危険である
人間よりも長い寿命の放射能を、人間の手の届くところに残しておくことは、将来的に忘却され放射能に最遭遇してしまう危険性をはらんでいる。管理するにしろ、負担するコストが割りに合わない。また、日本のようにプレート境界に位置した活動の激しい場所に限らず、地表は様々な地学現象に晒されているところで、保管場所が自然災害からの影響を受ける危険性が高い。それは地中といえども同様だ。被災と同時に、放射能が人間の生活圏に戻ってきてしまうことが想定できる。

地球上で最も安定な場所が海洋底
人間の生活圏から遠く、地球上でいちばん安定している場所が太平洋などの海洋底だ。もちろん、海洋底でも地球の活動はある。例えば中央海嶺やハワイのようなホットスポットでは地下からマグマが絶えず湧き上がっているし、海溝部分では大地震も起きる。しかし、海洋底の大部分は、陸地や海の上層ほどの激しい活動はない。
海嶺で誕生した海洋底は、海溝で再び地下に沈み込むまで、数千万年から1〜2億年ものあいだ、年にせいぜい5cmほど移動するだけで、ほとんど何も起きない。 太陽光の届かない海底では、目立つ生物もろくにいない。また、大洋の真ん中では餌となるプランクトンの死骸すらもきわめて少ない。陸地の侵食でもたらされる泥の堆積すらないのだ。 海洋底では非常にゆっくりとした時間が流れている。まさに時間しか解決できない放射能を始末する場所として相応しい。

水の循環も問題ない
しかし、海水に放射能が漏れ出したら結果的に海洋汚染になるのではないかという疑念があるだろう。ところが、海洋底の水はそう短期間には循環していないのだ。 海の上層の水は太陽光や風の影響を受けて盛んに動いている。だが、海洋底の水はその影響受けず、もっと時間的、距離的スケールの大きな循環をしている。
極地で冷やされた水は重たくなり、ゆっくりと海底に沈んでいき、大洋にひろがっていく。この冷えた水は熱源がないため冷えて重たいまま上昇することがない。この水を移動させるのは、新たに生成される冷たい水の押す力くらいなので表層海流のダイナミックさに比べると、やはり時間的スケールが違う。 よって、少々の放射能漏れが生じたとしても、海産物などを通じて人間の生活圏に戻ってくることはほぼない。


陸地で起こる地殻変動や火山、洪水、地すべり、土砂崩れなど、自然災害の周期は数十年とか数百年というサイクルだ。これに比べて海洋底の様々な活動周期は、放射能処理に必要な時間を満足するに十分だ。それに海洋底は過酷な環境であるがゆえに人間の生活圏はおろか、多くの生物の生活圏からも隔絶している。

以上、どう考えても海洋底以外に放射能汚染土を処分するにふさわしい場所は思い当たらない。使用済み燃料すら、海洋底に処分した方がいいように思える。まぁ、それは原発をやめるという前提の話で、そもそも核使用済み燃料っていうのは出してはいけないゴミなので、海洋底にいくらでも捨てられるから原発続けていいということにはぜんぜんならないけどね。

11/28/2011

猫間川に内川を重ねあわせて読んだ

椋氏( @Mukunokiy )の 「猫間川をさがせ」を読んだ。Amazonで売ってないなぁと思ったら、これもともと電子ブックだったのね。

大阪の地理についてはまったく頭に入っていないので、いろいろな地名や交差点の名前など、位置関係がぜんぜん思い浮かばないままに読んで、あとでGoogle Mapを見たりした。かろうじて行ったことのある場所は「鶴橋」くらい。それでも街の中に暗渠となってすっかり人々の記憶から消えてしまった「猫間川」に、うちの近くを流れていた「内川」を重ねあわせながら読んだ。


わたしたちが子供だった1970年代、川はドブだった。わたしの父の世代、昭和初期を過ごした人たちは、きれいなせせらぎだった川がドブへと変貌していくのを目の当たりにしている。でも、わたしの世代にとっては、川は最初から汚くて臭いドブだった。内川も呑川も、多摩川でさえドブだったので、川というのは生活上はなるべく近づきたくない場所だった。

内川が暗渠化されることになったのはまさに「臭いものに蓋」、歓迎すべきことだったし、川筋はきれいに整備されて今や古木の立ち並ぶ桜並木だ。川があったことすら知らない人たちが住みつき、そこらじゅうから湧いていた水も枯れてしまった。呑川や多摩川がかなり水質改善した現状をみると、中国の事故隠しよろしく川を土の中に埋めてしまったのは間違った選択だったようにも感じる。

しかし、ドブになる前も、川は昔から人の生活の都合で流路を変えられてきたのだ。

かつて、馬込の谷あいは豊富な湧水があり、そこそこの水量の流れがあったようだが低地の高低差は非常に少ない。崖から流れでた水は一筋の流れとはならず、地下鉄車庫のある道々女木〜梅田のあたりや、今立正大学の工事をやっているあたりからオートバックスや東急ストアのあたりは広大な湿地になってたようだ。多くの住民も知らないそんな土地の記憶が、先の大地震で液状化という形で蘇ってくるのは、不謹慎ながら面白いことだ。

Google Mapで馬込のあたりを見ると、大地と低地がくっきりとわかれていたせいか、道の配置や家の並びが地形にそっているので、かつての川筋がどのようなものであったのかはおおよそ見当がつく。だが、低地のどの部分に蛇行した川の本流があったのかはわからない。川をまっすぐに護岸したあと、低地は整然と区画されてしまったからだ。

「猫間川をさがせ」を読んでからGoogle Mapで大阪の街を見たが、猫間川の流路はまったく見えて来なかった。それは大阪が馬込とちがって起伏のない全面的な低地だったからだろう。それに大阪は馬込とは比べるまでもなく、大昔から人の手の入ってきた土地だ。低地の川は簡単に流路を変更され、溢れるといって掘り下げられ、ドブ川化したときには容赦なく蓋がされた。川に蓋をするように、土地のいにしえの姿も想像ができないように埋め尽くしてしまったようだ。事故を起こした高速鉄道をその場に埋めてしまうがごとく。

11/12/2011

「Steve Jobs」を読んだ

まぁ、先週には読み終えてたんだけど。Apple復帰までのいろんなエピソードはこれまでにも本になったりしてたので、知っていることも多かった。だけど、この10年のApple躍進の背景については興味深い内容だった。

特に、Appleの製品やサービスすべてがSteve Jobsの意向どおりに展開したわけではなかったという点はちょっとびっくりした。たとえば、Windows用のiTunesはJobsの考えとは全く逆の方針でリリースされてたんだ。iPhoneはiPodが携帯電話に市場を奪われるかもしれないという強迫観念から開発された。App Storeも彼の発案ではない。iPhone 4のアンテナ問題も、堂々とした会見の裏側の様子はちょっと違う。

製品発表会のステージ上で、「すばらしいだろ!」と言っている裏では、必ずしも全面的に開発方針に同意していたわけではなかったのか、と思うと面白い。


10/15/2011

関東ローム層は富士山の火山灰じゃないんだって

でも学校ではそう習わなかった? 実験で関東ローム層の赤土を水で洗うと、小さな輝石という鉱物結晶とかが出てきて、それが富士山由来だという証拠だって。高校の地学で習った。

でも、火山灰がつもると凝灰岩のようなものになるんじゃないの?、とか、なんでこんなに均一な粘土状に堆積してるの?、とか疑問に思っていた。

そうしたら、最近「フクシマサベツ」のツイッター発言でやや注目を集めてる...  うん、それは失礼だな。放射能の「早川マップ」で評判を集めている、火山地質学者の早川由紀夫先生が「関東ローム層は火山灰堆積物じゃない」とツイートされてたので、その解説を拝見した。なんと、あの分厚い堆積物は、毎年春先の強風で飛んでくるチリが積もったものだというのだ。

確かに、春の風の強い日に窓を開けておくと部屋がザラザラになる。こんな、1年に0.1ミリというわずかな堆積の数万年にわたる集積結果が関東ローム層なのだそうだ。

チリが堆積する場所にはもちろん腐葉土のような黒っぽい表土があり、草木も生えている。だが、これらは分解してしまうと赤い粘土状の土しか残らないらしい。だから黒い土の下の方では今でもローム層が着々と厚みを増しているということになる。こうしたゆっくりとした堆積の結果、あのように塊状(マッシブ)のものができあがるのだそうで、逆に火山灰だったとしたら、何らかの総理構造があるはずなんだとか。

なるほどね。納得。

http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/volcanology/c6.html

Steve Jobsについて書いてみようかな

もう、CEO辞任のニュースが出てから「ダメそうなんだな」という認識はあったけど、やっぱり死んじゃったか。なんというか、好きなアーティストがいなくなって、もう次の作品は見られないんだなというような、さびしい気分。「悲しい」というのとは違うけど、なんか将来に対しての喪失感みたいなもの、そんなものを漠然と感じる。特に、自分の愛用品の行く末については不安感がちょっと漂う。

最初にコンピューターに触れたのは大学時代だったけど、当時は大学の情報処理センターに出向いて、授業でならったコマンドとプログラムを入力するって付き合い方だった。大学3年生のころには、バイトでNECのPC-9801ってパソコンに「松」っていうワープロと、何ていったかな?名前憶えてないんだけどカード型のデータベース・ソフトをフロッピーで立ち上げて使った。ちょっと興味をもってパソコンのカタログとか見たけど、値段見て「これはパーソナルじゃない」って思ったもんだ。同じアパートに住んでた友達がPC-8801だかを持ってたんだけど、そいつにはフロッピー・ドライブすらついてなくて、電源切ればプログラムもデータもなにもかも消えるという、超高級プログラマブル電卓みたいなもんだった。

これが1984年くらいの話だから、使ってたパソコンはみんなApple IIの成功に触発されて開発されたものだったし、AppleではすでにMacintoshがデビューしてたころなんだな。もう、そこからSteve Jobsからの影響は受け始めてたわけだ。

就職した1986年当時、コンピューター通信の会社の技術部だったのに課に1台もパソコンがないという部署に配属され、となりの課の先輩社員に教えてもらったのがTRONプロジェクトだった。で、その坂村健先生の書いた本で初めてMacintoshを知った。このときすでにSteveはAppleに居ない。そして、実際にMacintoshを初めて触ったのは翌年、課に初めてパソコンを導入するという際に稟議書を書くために後輩にパソコンの比較資料を作らせた直後だった。「なんだかMacintoshって恐ろしく何でもできますよ!」との後輩の言葉を聞いて、Canon Zero One Shopにデモを見に行った時だ。一発でその魅力にはまった。

それでも当時のパソコンはぜんぜんパーソナルな値段ではなかったので、購入までには半年ぐらい、あれこれ悩んだなぁ。まぁ、それ以来25年以上、Macユーザーなんだからすごく長い付き合いだ。正直、System 7 + PowerPCの時代、Macはやたら使いにくくなっていったので、仕事ではWindows 2000を使ってた時期がある。でも、OS Xが安定してから、また仕事もMacに戻した。今も一番使いやすい生産性の高いツールになってる。


Steve Jobsはアイディアや技術をエレガントに結びつける「触媒」であったのだなぁ、と思う。そして成果物の上手な説明者でもあった。パソコン業界はこの30年ほど、Steve JobsとBill Gatesという性格的は問題のあるふたりに牽引されて発展してきた。両者ともに偏屈に自分を押し通すような強烈な個性の持ち主だが、Billが自らもプログラマーであったのとは対照的に、Steveは純粋に「触媒」としての役割りを果たしてきたように見える。

コンピューター・オタクの技術は彼に触れてApple IIという実を結んだ。Apple IIがあったので表計算ソフトが誕生した。PARCで最先端研究していた連中とコンピューター・オタクが引き合わされてMacintoshが誕生した。MacのおかげでDTPが開花した。MIでのマイクロカーネルの研究はNextによって陽の目をみることになり、NextStepというオブジェクト志向環境があったからこそ、Berners-LeeはWWWのアイディアを簡単に構築できた。「触媒」としては極めて様々な重要な化学反応を起こしていながら、成果物はいつも他の人の手の中だ。

Steve JobsがAppleから離れている間に、NextとPixerという2つの会社の代表になっていたけど、どっちも経営はふらふらの状態だった。実際にはPixerはSteveが作った会社ではないので、Nextが彼のアイデンティティだったはず。そしてNextの開発したコンピューターとOS上でWWWとHTTPは開発され、ユーザー・インターフェースはWindows 95に模倣されるなどのインパクトは与えつつ、商業的な成功を手中にはしていない。PixerがToy Storyで商業的にようやく成功したのは、彼の実績ではない。つまりそれまでSteve Jobsがビジネス的に成功したのはApple IIだけだった。

Steve JobsはAppleに戻ってからようやく触媒が誘発した化学反応の成果を自ら受け取れるようになったが、Appleに戻れたのはGil Amellioのおかげだ。今振り返ってみると、本当によくできたドラマだ。

7/25/2011

LionでTiger ServerのAFPにつながらない

難しい。MacBook ProをLionにしたら、Tiger ServerのAFP(ファイルサーバー)へのログインができなくなった。Snow Leopardからは問題なく接続できるのに。AFPといえばAppleのプロトコルなのになぜ?

そんなわけでちょっと調べてみたところ、LionではAFPの認証(uam)にDHX2という手順を使うようにして、古いDHCAST128という手順をデフォルトで無効にしたのだそうだ。これによって、たとえばLinux上でnetatalkを動かしてファイルサーバーにしている場合にもLionからログインできなくなったらしい。

サーバー側がDHX2に対応すればクライアント側では何もする必要がない。netatalkでもDHX2を導入するためのパッチだかアドオンが出ているようだ。LeopardやSnow Leopardもサーバー側でDHX2を持っているらしい。Tiger側でDHX2を有効化できるならば、クライアント側はいじる必要がないのでそれが一番いい。しかし、Tigerについてはちょっと情報が得られなかった。

Appleのサポートでは、Lion Serverに関するドキュメントに記述があり、サーバー側でDHCAST128を有効にする方法とクライアント側でDHCAST128を有効にする方法が解説されている。それによれば、/Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient.plist で定義をしてやれば良いようだ。確認してみると、Tigerには当該ファイル(ドメインというのか?)が存在していない。つまり、Tiger側では認証方式を設定する手立てがないということだ。ということは、クライアントのLion側でDHCAST128を有効化するしかない。

まず、Lionの/Library/Preferences を誰でも書き込めるようにパーミッションを変更する。

$sudo chmod o+w /Library/Preferences

次に、com.apple.AppleShareClient.plist に「無効化する認証方式」の宣言を書き込む。DHCAST128はこの宣言がないとデフォルトで「無効」になっているが、宣言をして「無効」から除外するということだ。

$sudo defaults write /Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient  afp_disabled_uams -array "Cleartxt Passwrd" "MS2.0" "2-Way Randnum  exchange"

これで、宣言した3つの方式以外が「有効」になるはずだ。Lionをリブートして、Tiger ServerのAFPに接続ができた。

ちなみに、DHCAST128を無効にするときには、

sudo defaults write /Library/Preferences/com.apple.AppleShareClient afp_disabled_uams -array-add “DHCAST128″

として宣言に追加すればよいようだ。

7/01/2011

液体ブルーレットはなんでいっきに減るのか?

なんか損をしているような気になる。最初、液はちっとも減っていかないのに、ある日突如、空になるんだもん。台風とか低気圧が来ると顕著に減ってたから、これは容器の上部の空気の圧力の関係だな、とはうすうすわかってた。だけど、あんなに残ってた液が全部出ちゃうのはどうにかなんないのかな。

と思って分解して仕組みを調べてみた。

まず、容器(タンク)の部分。これは底にひとつ穴があいているだけ。


容器の受け部分。容器の底にに突き刺すようになってる部分は、いかにも秘密がありそう。


外してみた。



それほどメカニックな構造ではなく、両脇の羽根状の部分に穴が空いている。容器への接続部分はごく小さい穴が空いている。どうやらこれは水を吸い上げるための形状のようだ。この部品をとりあえずここでは「羽根」と呼ぼう。

こうして次のようなことが解明した。
  1. 容器にはかなりドロッとした粘性の高く、水よりも重い液体が入っている。
  2. トイレを流すと容器にかかった水の一部は「羽根」の内側に入り込む。
  3. タンクに水がかかることで、中の空気が収縮する。
  4. 空気が収縮した分、羽根にたまった水が吸い上げられ、粘性の高い液の中を泡のように上昇する。
  5. 水がかからなくなると容器内の空気は膨張し、水よりも重い液だけが雫となって落ちる。

この繰り返し。中の液は次第に水に置き換わっていくため、最初のうちは減りが少ないように見えるのだ。ただ、水といっしょに空気も次第に容器に入り込む。空気の量が多くなれば温度差による膨張収縮の度合いも増すことになる、外気圧の影響も受けやすくなる。それに加えて、液は次第に粘性の低い水に置き換わるので穴から流れ出やすくなる。で、最後はドバーっと流れ出ておしまい、というわけだ。

まぁ、損はしてなかったんだな。

6/28/2011

MacのDockが暴走してたらParallelsを疑え

ふと気がつくと、MacのDockがCPUコアのひとつを100%消費している。明らかに暴走。ググってみたら、どうやらParallels 6とOS X 10.6.8との組み合わせで起きる問題らしい。


Parallelsを起動して、各仮想環境の"Configure"を開き、"Options"タブをクリック。"Applications"で表示されている中の "Show Windows applications folder in Dock" のチェックをはずしておく。





これでParallelsを終了すると、まだDockは暴走したまま。ここで、Macを再起動するか、アクティビティ・モニターを使って"Dock"を強制終了すれば、Dockが再起動されて暴走はおさまる。


2011年7月25日 追記
この問題は、Parallels 6のbuild 12092で修正されたようだ。最新版をインストールすれば解決する。

5/16/2011

「東海地震発生確率 30年以内に87%」の解釈は合っているのか?

とても勘違いが多い。地震はサイコロを振ったときの目の出方の予想とは異なる。東海地震が将来30年間に起きる確率が87%という場合、複数の札の中から毎年1回30年にわたり引いたときに、当たりの札を最後まで引かない確率が13%だ、と考えるのは間違いだ。なぜなら、このモデルで考えれば、1年後でも5年後でも10年後でも、その後30年内の発生確率は87%のままだ。どの1年を切り取っても、地震の発生確率はと6.6%にしかならないということになる。

地震はそのメカニズムから、前回発生してからの年数によって発生の危険性が増すもので、その発生は震源地ごとに周期的だ。なので、その発生の可能性は、時間軸を横にとってFig.1のようになるはずだ。これは、ティーグラウンドから一人のプロ・ゴルファーがボールを同じクラブで同じように打ったときに、飛距離がどのように分散するかを観測したときと似ている。いつ地震が発生するかは、打ったボールの中にたったひとつ印の付いているボールをティーグランドから順番に確かめて見つけることと同じだ。


ここで重要なのは、地震は100%起きるということだ。ゴルフボールの例で言うと、ボールの飛距離には限界があって、そこに達するまでに印のついたボールは必ず見つかる。

さて、Fig 2を見ていただきたい。現在をt0とすると、過去に地震が起きてからt0までに次の地震の起きた可能性はあったとしても、起きていないのだからそれは将来の可能性には影響がない。つまり将来ある時期txまでに地震の起こる可能性は、
A ÷ (A+B) × 100 %
である。txを30年後としたのが「確率87%」の意味するところだ。当然だが、txを小さくとるほど、発生確率は低くなる。

Fig. 2の例では発生可能性のピークは今よりも将来のほうが高いことになる。しかしFig.3のように、t0がこの発生可能性のピークよりも後だった場合、地震の危険性はむしろ今のほうが将来よりも高い。

わかるだろうか? t0の時点で1年以内に発生する確率のほうがその後の1年に発生する確率より高いのだ。

そして、分母の(A+B)はどんどん小さくなり、どんなにtxを短くとっても発生確率は100%に近づくことになる。

ここまでを理解すると、竹中平蔵氏のこのツイート:

30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。


と、それを批判する多田光宏氏のブログ記事:

竹中平蔵氏のための確率論入門

は、ちょっと滑稽である。というか、t0がどこに置かれているのか議論していない点で、危機への認識が全く甘い。今後30年間は、明日より今日の方が地震発生のリスクが高いかもしれないのだ。

4/28/2011

金を集めてから商売を考える

ホリエモンがいよいよ収監となる事態にあたって、Twitterにつぶやいたことなどをちょっとまとめてみる。

ライブドア事件、霞ヶ関との繋がりのある企業とない企業ととの間で、処罰の不公平感を感じずにはいられないが、実業がないままにあれよあれよと金をぶん回すようになっていった過程は目にあまるところがあった。ライブドアがまだオン・ザ・エッジだった頃から、プレスリリースをこまめに打つ会社だな、と思っていた。確かEudora Proの販売権を獲得したり、売れそうではないけれどよく名の知れた商品を手中に入れていった。Lindowsもそうだ。旧「ライブドア」も商売として破綻してたプロバイダーだった。

とにかく、名前は通っているけど売れてなさそうな商品、どうやって儲けるのかわからないサービス群が揃っていたので、会社としてやっていけてるのか不思議だったが、秘密は株のテクニックにあった。株価は期待値で膨らむものなので、ニッポン放送を買収しようとしたとき、いよいよバブルではなく、本当に儲かるビジネスの「実」の部分が欲しくてしょうがないのだな、と思った。

ライブドアの成長の手法は「金を集めてから実際の商売を整える」という感じに見えた。当時「なるほどなー、確かに金がなければ大きな商売はできないもんな」と感心した。それにしても、特に何もイノベーションがないウェブ制作会社にしては異様な成長ぶりだった。このときの日本の投資家の金の出し方に疑問を持った。アメリカでは金はなくてもユニーク技術やアイディアに投資がされるが、オン・ザ・エッヂにそんなユニークさはなかった。結局、日本の投資家は勝ち馬に乗ろうとする心理だけで金を動かしている印象が大きい。事業の中身なんか関係ない。ホリエモンはそのあたりをよくわかってたんだろう。

ホリエモンはその成功を今も引きずっているように見える。収入は激減してるであろうが今も六本木の高級マンションに住み、Twitterやメルマガで宇宙開発の夢を語るのは、周囲の期待感を金に変えていこうというオン・ザ・エッジ時代と全く同じ手法だ。実情はメール・マガジンや自著の売上でなんとか回しているんだろう。あまり筋の良さそうでないビジネスにも手を染めている。ホリエモンは投資家にとっては株価を吊り上げてくれる装置でしかない。所詮その役割としての「存在」なので、その装置が既存の本物の利権を奪いにかかると、突如国を挙げて潰しにかかる。しかし旧来の利権に属する企業は、同じような不祥事があっても国を挙げて守るのだから、ゆがんだ社会構造である。

ホリエモンがインタビューで「ベンチャーなんてどれも似たようなもんで、どこかいかがわしい部分がある」と言っていたが、そのとおりだろう。社会は「コンプライアンス」を歪めた形で解釈し、新興企業つぶしに悪用してはいまいか。コンプライアンスは本来、霞が関と癒着のある既得権益に対して適用されるべきものだと思うが、逆になっているように思う。

4/13/2011

男鹿半島周辺の不思議な地震

何を暗示しているんだろう。東北地方太平洋沖地震はM.9.0の超巨大地震だったが、その破断面からはるか遠くで大きな地震が起きている。秋田男鹿半島周辺と長野だ。この中で私は男鹿半島周辺の地震が気になってしょうがない。それは、男鹿半島が日本海に突き出しているからだ。

地形には意味がある。ちょこんと日本海に突き出している場所で、太平洋側の超大型逆断層型地震のあとに正断層型の地震が起きている。何かその地形を作った根本的な要因に関連がありそうではないか。

実は、男鹿半島は日本海に浮かぶ火山島だ。たまたま陸地と繋がっている。日本海には本州側と一定の距離で島が並んでいる。佐渡、能登、隠岐、玄界灘の小島などだ。これらのうちいくつかで重要な火山岩が産出する。「アルカリ玄武岩」だ。

岩石が熔けてマグマになるには3つほどのファクターがある。温度、圧力、そして水。温度が上がれが当然岩石は熔ける。同じ温度でも圧力が下がればやはり岩石は熔ける。水は岩石の融点を下げる。

岩石の温度を上げるのは岩石中の放射性物質と地球のより深いところから上がってくる熱も要因のひとつだ。(プルームと言う地球深部からの熱上昇が主要因とされているのかな。) 圧力は上部マントルのテクトニックな構造、つまりプレートの動きやぶつかり合いで変化する。水はプレート境界で沈み込んだ岩石から供給される。

日本の地下では太平洋側からたっぷりと水成分を"含んだ"岩石が沈み込んでおり、ある程度の深さに達すると陸側のマントルにそれが供給される。陸側のマントルでは岩石が部分的に熔融して上昇し、比較的地表近くの地下にマグマ溜まりを形成する。マグマはここでゆっくりと冷やされるうちに晶出する鉱物によって成分を変化させる。何らかの圧力的な要素が加わって地上に噴出するのが火山噴火だ。

マグマ溜まりでよく分化や混合が進むので、日本には安山岩質、花崗岩質の火山が多い。分化が進まないうちに噴火すると玄武岩質のマグマが出てくる。東京のそばでは富士山や伊豆諸島が玄武岩だ。

しかし、日本海に並ぶ島々に出ているアルカリ玄武岩はちょっと毛色が違う。アルカリ岩と分類されるマグマは、海洋プレートや30kmとか50kmのという非常に深い場所で生成される。日本海側に見られるアルカリ玄武岩は、分化のまったく進んでいない状態で地下深いところから一気に上がってくる。「一気に」というのは相当の勢いをもってということだ。そのため、そのマグマの通り道にある岩石を削りながら熔かさずに巻き込みながら数十kmを駆け上がって噴出する。そのため、冷えて固まるとマグマの中に地下で削ってきた岩石のかけらがそのまま含まれているのだ。

これは激烈な現象だ。なんでそんな激烈な現象の跡が日本海にあるのか不思議だったのだが、今回の男鹿半島周辺の地震ではっとした。日本列島は通常太平洋側からの強烈な押しの応力に支配されている。ところが太平洋側の広い範囲で開放されると、今度は逆に引きの応力が広範囲に働くのだそうだ。これが正断層を生む。引きの応力にはむらがあり、男鹿半島には力が集中したものと思われる。

男鹿半島周辺で発生している地震の震源は浅い。しかし、応力変化は深い部分にも及んでいるのではなかろうか。深い部分での圧力開放はアルカリ玄武岩質マグマを生むきっかけとなりそうだ。

男鹿半島でアルカリ玄武岩が最後に噴出したのは6万年も前のことらしい。しかし、アルカリ玄武岩の噴出が稀なことならば、1000年に一度とも言われるM9.0の地震が、さらに稀な現象を誘発させないとは言い切れないのだと思う。最近の研究でも地震と火山噴火との密接な関係が明らかにされてきている。太平洋沖の地震が男鹿半島周辺の地震を引き起こした、ということは男鹿半島の地形を構成する火山が太平洋沖の地震と関連性があるという可能性は十分考えられる。

3/24/2011

じゃぁ結局どのくらい被曝覚悟すりゃいいんだ

もう報道される単位がめちゃくちゃでどうしようもない。いろんな単位が出るもんだから値の大小は混乱するし、受ける影響なんて何を言われているのかさっぱりわからない。というわけで、全部シーベルトにシーベルトってことだ。なぜか? それが曝露した放射線の人体への影響を測る単位だからだ。


全部がシーベルトの値で示されれば、被曝量はカロリー計算のように足し算のみでわかる。一日の被曝量が抑えられれば情報に惑わされることはないのである。


重要なのはベクレル(Bq/kg)からシーベルト(Sv)への変換。ここで注意が必要だ。ベクレルの値は放射能がその時点でどれだけの放射線を出すのかを示すもので時間的な変化は表さない。同じ100Bq/kgでも、半減期の異なるヨウ素131とセシウム137とでは単位時間あたりの放射線量は異なるということだ。半減期の圧倒的に短いヨウ素131の方がセシウム137に比べ短い時間で放射線を出しつくすので影響は大きいのだ。 同じ100Bq/kgでも、半減期の異なる要素131とセシウム137とでは崩壊速度が違うので、放射性物質の全体量は半減期の長いセシウム137の方が断然多いのだ。


また、食物として摂取した場合、体内にどれほど吸収され留まるのか。代謝で排出されるまでどのくらいの時間がかかるかによっても放射線の影響は異なる。(経口摂取と吸引摂取とでも異なる。)


よって、ベクレルで発表された数値をシーベルトに変換するには複雑な計算をしないと求めることができないが、これまでの研究の積み重ねにより放射性物質ごとに算出された係数がある。それが実効線量係数だ。この係数のおかげでベクレルからマイクロシーベルトへの変換は掛け算だけで良い。



物質名
実効線量係数
ヨウ素131
0.022
セシウム134
0.019
セシウム137
0.013
ストロンチウム90
0.028



もっと詳しい表



100Bq/kgのヨウ素131の水を300ml飲んだ場合、水は1リットルが1Kgなので


 100Bq/kg × 0.3kg × 0.022 = 0.66 μSv



今回の事故の影響で年間に増加する被曝量を1mSvに抑えたいなら

 1mSv ÷ 365days = 2.7μSv/day


なので、300mlの水を飲んでもあと2.04μSvを他の食品から摂取したり、体外被曝しても大丈夫ということになる。


4月28日追記

ベクレルからマイクロシーベルトに換算する際には係数をかけるんだけど、この係数には体内半減期の要素が加わっている。つまり、体内にあるベクレル数の放射能が取り込まれてから体から排出されるまでの被曝量がμSvに換算されるからμSv/dayとして足し合わせるのは本来厳密じゃない。例えば10Bq/litterのI-131を含む水道水を2リットル飲んだ時0.44μSvと換算されるが、これは1日の被曝量ではない。ただし体内には1年以上留まらないので、年間の線量規制値1mSvを一日当たりに直した2.4μSvと比較する際、1日の外部被曝量と足すのがわかりやすい。

200Bq/litterのI-131を含む水を一時的に2リットル飲んでも、体外排出されるまでのトータルの被曝量が8.8μSvだが、1日あたりの被曝量は1μSvにも満たないはずだ。なので毎日飲み続けなければ影響は極めて小さい。「飲まない方が良いが飲んでも問題ない」という意味はこれ。なので、毎日の被曝量を意識していれば、たとえ少々放射能が多めのものを口にしたとしても、体への影響はほとんどないと思っていい。重要なのは続けて毎日とらないことだ。

2012年9月3日追記

ベクレルについて、明らかに間違った解釈をしていたので訂正した。斜体で本文に追記した。

3/22/2011

武田邦彦先生に聞いてみた

福島原発事故の放射能のことだ。ニュースではヨウ素131が基準値の何倍でセシウム134と137が基準値の何倍検出されたとか、ヨウ素131は半減期が短くて8日だが放射性セシウムは30年だとか、そんな情報が断片的に報じられる。だが、検出量や半減期が今後自体の成り行きにどう関わる情報なのかは見えにくい。

そこで、今や「ほんまでっかTV」のレギュラーである武田邦彦先生に、以下のような質問をしてみた。

武田先生

ブログを読んで勉強させていただいております服部と申します。
わかりやすくタイムリーな解説をありがとうございます。

ひとつ質問をさせてください。

現在原発から放出されている放射性元素はどれもウランの崩壊によって生じた副産物だと理解してます。現在、制御棒を挿入したことによりウランの核分裂反応はすでに止まっているとすれば、次のように考えてよろしいのでしょうか。

  1. 副産物の放射性元素は、これまでに漏れたものと現在原発内に蓄積されている
    もの以上に、新たに生成されることはない。つまり放射性物質の全体量はもう
    確定している。

  2. ヨウ素131の半減期は放射性セシウムなどにくらべ極端に短いため、原子炉に
    現在入っている燃料棒以外の長期保存されていた使用済み核燃料棒内に残存して
    いる量は少ないはずである。

  3. 長期保存されていた燃料棒内から漏れる放射性物質はセシウムなど半減期の
    長いものの比率が多くなるはずである。

  4. 現在漏れているヨウ素131は主に原子炉内の燃料棒由来である。

  5. 長期的に見ると放射性のセシウムやストロンチウムなどの漏洩量が環境影響
    を考える意味で重要である。
果たしてあの原発には、MAXでどれほどの量の放射性セシウム、ストロンチウムが見積もられているのでしょう???
服部


数分もしないうちに先生から返答をいただいた。
まさにその通りなのです。現在少しずつ放射線量等が出ていますが、実は原発が事故を起こした時にどのくらいの放射性物質が出るかということを予想ができるのですが、今のところテータがちょっと不足していて、わたくしの方では、なかなか正確な数字が出ませんが考え方としては全く正しい考え方です。しかしこのような収支計算のようなものはなかなか一般的ではないようです。 武田邦彦 中部大学




武田先生のブログでは、今回の事故とそれに関わる報道についての有益なコメントがまとめられている。


4月28日 追記-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

4月9日のasahi.comの記事によれば、停止直後の原子炉には5,900,000TBqもの放射能があったという。そのうちの9割が放射性ヨウ素だ。テラベクレルは1,000,000,000,000ベクレルなので、5.9 x 1018 Bq。10の18乗!

2/24/2011

日本語ブルース

つくづく、コンピューターは日本人に使いにくいなぁと思った話。TranscendのMP3プレーヤー、M330っていうのを買ってみた。iTunesに入っているアルバムのいくつかをAmadeus Proというサウンド・エディターの変換機能を使ってmp3にしてこのM330にコピーしたところ、まぁ何の問題もなく再生され、再生中のファイル名も表示された、の・だ・が・・・・ 曲のタイトル、アーティスト名、アルバム名が文字化け表示!

ははぁーん、これはID3タグがちゃんとしてないんだな、と思い、ID3タグ編集用のTagr.appってフリーソフトをダウンロードしてきっちりと入れなおしてみた。でも治らない。

mp3ファイルはもともと音楽をMPEG1 Layer 3という形式でエンコードしたサウンド・ファイルだったが、MP3プレーヤーのソフトやハードがどんどん登場して、ファイル交換時に曲名やアーティスト名も一緒に受け渡せるようにフォーマット拡張されたのが"ID3タグ"だ。コンピューターの世界で多国語対応が標準的になったのはWindows 2000、Mac OS Xになってからである。ID3タグが出た段階はまだWindows 98、Mac OS 8の時代、当然日本語のことなんて考えられていない。また、当時のパソコンの日本語コードはShiftJISだ。日本語化といえばShiftJISが採用されるのが自然の流れだった。ちなみにインターネットで使用される日本語コードはいわゆる7bit JIS=ISO 2022JPだった時のことだ。

OSがネイティブに多国語されるのはその数年後、そしてそこで採用されたのはUnicodeである。UnicodeにはUTF-8とUTF-16があるのだが、ID3タグの多国語対応時に採用されたのはまずUTF16で、最新版でようやくUTF8がにも対応した。(ちなみにUTF-32もある。)

しかし、同じ文字を表すのになぜにこうも異なったコードが乱立してしまったんだろう。コンピューターの処理能力とともに歩んで来た歴史の積み重ねというのは重々承知している。だが、英語圏ではこんなにも使い分けやプログラム実装に悩んだりする必要がないことを考えると、日本人はそれだけで重たいハンディを背負っている。

JIS、ShiftJIS、EUCの使い分けがUnicodeの登場で簡単になるのかと思いきや、またもやUTF-8とUTF-16で悩まされるのか。複雑化する一方だ。普段、ユーザーとしてパソコンを使う分にはそれほど気にすることはないにしろ、文字化けなどに遭遇したとき、突然にこのあたりの知識を要求されるのがキツい。

ASCIIを使っている連中は文字化けという現象に無頓着だ。したがって、ID3編集ソフトを作った人も「文字コードの変換」なんて機能は実装してない。Tagr.appがまさにそうだ。OSがサポートしてる文字コードをファイルに書きこめばいいだけなんだから。

で、先のMP3プレーヤーでの文字化けの問題、ID3タグにUTF-8で日本語が書かれていたことで発生していた。この問題を解決できるのは日本人が作ったソフトしかないのはあたり前で、そういうソフトはMac用には見つからず、いろいろ試してようやく"Super TagEditor"というWindows用にたどり着いた。動作がいまいちなんだけど、なんとか無事に文字化けは解消された。

今回の件で、mp3のID3タグのことについて短期集中で勉強した。だが、iTunesとiPodを使っている限りこんなことは知らなくていいことだし、問題は特殊なことをやろうとしない限り顕在化しない。知識はあっても、それが金にならないという典型的なパターンだから悲しい。最終的にブログでぼやくわけだが、これすら時間の浪費でしかない。

2/16/2011

iPhoto 9.1.1 (iLife '11) でプリントができないなら Themeを消して再インストール

またまたiPhoto 9.1.1でトラブルに遭遇した。最近はめっきり写真をプリントすることがなくなったのでいつからこんなトラブルがあったのかわからないんだけど、写真を選んでファイル・メニューから「プリント」を選ぶとアラートが出て


「利用てきるテーマが見つかりません。: テーマが見つかりませんでした。少なくとも1つのテーマがインストールされるまでは、この機能は使用できません。」

と言われる。こ、これはAppleのHuman Interface Guidelinesで「ダメ」とされてる「A poorly written alert messages」にちょっとばかし説明を加えた程度のひどいアラートだ。テーマをどうしたらインストールできるのかがわからない上、「OK」を押してプリントをやめるしかない。

そもそもテーマってなんだよ。ってことでiPhotoのヘルプを見ようとしたら


「HVURLHandlerErrorDomain エラー 1002」

これまた完全な「A poorly written alert message」が堂々と登場。結局頼れるのはGoogle様ということで解決法を探った。

まずはプリントが出来ない件

  • "/Library/Application Support/iPhoto/Theme" を削除
  • ”/Application” からiPhotoを削除
  • iLife '11のディスクからiPhotoをインストール
  • iPhotoを最新版にアップグレード
これで解決。iLife '11のディスクでインストールされるのがiPhoto Ver.9.0の場合、立ち上げるとライブラリを消してしまうバグがあるようなので、立ち上げずにどんどん最新版にアップデートした方が良いだろう。私の場合、TimeMachineでバックアップがあるので躊躇せずに再インストールしたが、一般的には"~/Pictures/iPhoto Library が消えないようにバックアップしておいた方がいい。

次、ヘルプが出ない件

  • "~/Library/Preferences/com.apple.help.plist" を削除
  • 一旦ログアウト
  • 再度ログイン

で解決。このヘルプの問題は日本だけで発生する問題らしい。Appleの開発とQAはほぼCupertinoで行われているので、アメリカ人から文句の来てないようなバグは、知らないので対処されないまま放置されてしまうみたいだ。

2/02/2011

「昔日の客」とメディアの価値

元大田区役所のあったあたり、大森日赤前のバス停のすぐ目の前に「山王書房」という古本屋がかつてあった。子供の頃から小説など全く読むことのない私には縁のない店だったが、となりの叔父などはよく行ってはそこの主人の長話につかまってたらしい。叔父の家にはいまでもそのお宅から年賀状が届くという。私の父も入二の教師をやっているころに寄ったことがあると言っていた。

その山王書房の主人によるエッセイ集がこの「昔日の客」だ。著者は残念なことに本書の初版が出版される前に60歳にも満たない生涯を終えている。昭和53年に出版されたこの本はしばらく絶版状態だったが、昨年(平成22年)に若干の手直しがされた上で復刻した。たかが大森の古本屋の主人が書いた本なれどこの本を求める人はそこそこあったようで、手元のものはすでに第二版となっていた。

昔の馬込の様子などが綴られているというのが本書を手にした動機で、私自身は特に文学に興味があるわけではない。なので、本書に登場する作家については何ひとつ知識がないままに読んだ。文章も読みやすく、この古本屋の主人の変人ぶりと書籍への愛情、作家への尊敬がにじみ出ていた。作家と読者をつなぐパイプ役として、双方から愛されていた様子も伝わってきた。

私が子供の頃は、うちのそばにも「貸本」をやっている馬込書房という店があった。バス通りに市場があって、その日の夕飯の買い物はその日にしていた時代だ。世の中はこのあと加速して変化して豊かになっていくのだが、当時、本は「貸本」で読むほどに庶民にとって高額なメディアだったのか、と改めて思う。当時子供で自分でお金を出して本を買うことはなかったので、実感としてはよくわからない。でもそうだったに違いない。「古本」の商売もそんな時代だったからこそ成り立っており、どれだけ良い本を揃えることができるかは、古本屋の主人の目利きにかかっていた。

「昔日の客」を読んで驚くのは、大森駅からさらにバスに乗らないと来られないような場所にある古本屋に、吉祥寺やら藤沢やら遠方から客がやってくること。本は高かったばかりでなく貴重で、体力使って探しまわらないと手に入らないようなものだった。そんな事情が、古本の価値を高め、さらに古本屋の力量の価値も上げていたということだ。

「昔日の客」は、今日で言えばブログに書かれているような内容だ。おおよそ散文なんてそんなもんだ。現代なら書いた時点ですぐに公開して、推敲を重ねた結果を反映させるのもリアルタイムにできる上、書いた内容についても一方通行でなく、読み手からのレスポンスもすぐに受け取れる。環境はコンテンツを創る側にとっても受ける側にとっても劇的に便利で安くなった。Googleで検索すれば次の瞬間には欲しかった物が手元に入る。「本」であってもアマゾンからたいていのものが翌日に届くし、希少本さえ体力を使わずに探し出すことができる。便利さと引き換えに「古本屋」という商売はリサイクルとしての価値しかなくなってしまった。品揃えとか目利きとかの価値もほぼ壊滅状態だ。

かつて「本」に書かれているコンテンツを得るためには、情報を持っている人と接し、実際にからだを動かして移動し、何件も本屋を回らなければならなかった。コンテンツの価値が変わらないとすれば、そのコンテンツを収録している本というメディアの価格以外に様々なコストを払わなければならなかった。インターネットによってメディア以外のコストはほとんどゼロになり、動く金の量が激減した。そして、様々な商売が消えていった。今や「本」というメディア自体のコストすらなくなろうとしている。

もはや、コンテンツについては作者とオーディエンスが直接向き合う時代になった。動く金の量が極端に減ってしまった。出版不況と言われているが、それは決して「活字離れ」なんてことが原因ではなく、メディア流通の価値がどんどん下がってしまった結果であり、CDが売れなくなったのとほぼ同じ理屈があてはまる。文学も音楽もコピーされなければ伝わらない。コピーがしにくければ人々はお金を出すが、自分で簡単にコピーできるものにお金は払わない。コピーさせないような技術は結局海賊版をはびこらせる。メディアでお金が取れない時代にコンテンツの作者は伝統的なビジネス・モデルそのものを考えなおさなければ生き残れない。

「昔日の客」を読みながら、出版業というのが本というメディアのおかげで潤うことができたのは、人類の歴史でほんの一瞬だったのかな、と思った。