1/17/2010

祖父:服部亮英の絵

馬込にまだ文士たちが集まる前から、祖父は大森・馬込の地に住み始めたようだ。三重県の千里、慈教寺の長男として生まれた祖父は、本来寺を継ぐ身だったが、東京美術学校にすすみ、文展に審査抜きで出品できるほどになったそうだ。

妻の父方の祖父母の墓が三重の魚見にあり、先般法事があったので、そのついでに祖父の実家である慈教寺に立ち寄った。慈教寺は現在、祖父の弟の子、つまり私の父の従兄弟が継いでいる。祖父の弟の服部恭寿は慈教寺を継いだだけでなく、真宗高田派の本山、専修寺の宗務総長も務めたが、昭和55年に亡くなっている。

寺には祖父が中国に渡った際に描きまとめた「長江大觀」という上下巻からなる直筆画集が残されており、それを拝見し、ビデオに収めた。もともと洋画家であったが、これは墨と水彩の作品集である。同じ内容のものが何点か存在して、当時は販売したのかもしれないが、確認できているのはこれひとつ。父も、隣りに住む叔父も実物を見たことがないとのことだった。ビデオは編集の後にYouTubeにアップしようと思う。

Yahoo!オークションで、たまに服部亮英の絵や挿絵を描いた本が出展されていることがある。

1/11/2010

自分の2009年を総括

2008年4月にIP電話の会社の役員を辞め、10月にその会社が破産となり、金銭的、精神的なダメージを引きずって始まった2009年も、あっという間に終わってしまった。ITの分野ではiPhoneが絶好調でAndroidが追随しようとするなどして、これまでの携帯電話会社による「パケット課金モデル」「コンテンツ販売モデル」が崩壊しようとしている。これはまさにIP電話会社の役員として、親会社や投資会社に説明してきた未来予想が現実化して来ているわけだが、説明を受けた側は今でも私が何を言っていたのか分かっていないのだろうな。

主張していたのは、「携帯電話会社はコンテンツ販売の利権を失い土管貸しビジネスになる」、「電話はIPアプリケーションのひとつになる」という2点だ。こんなことはちょっと考えれば自明の未来像だが、「IP電話は携帯に敵わない」くらいの低レベルな認識だから、「IPアプリケーション同士を連携させることが重要」とか言ってもなんのことだかわからない。今になって「クラウド」とか言われて、勉強しはじめたところじゃないのかね。当時その会社で開発していたのは完全にクラウドビジネスそのものだ。

まぁ、先頭立って説明しなくてはならない肝心の社長もこのことが見えてたかどうか疑問だったな。結局「いつ黒字化する」って議論に矮小化してしまった。それでも4月には人間関係にもすっかり嫌気がさして、投げ出してしまった私の力量不足は否めない。評論はできるが、実際に金を出させるまで説得するのは大変な労力で精神的に消耗するものだ。

しばらく仕事のことを忘れて、自分の創作活動に没頭して見ようと思ったところでその会社が倒産。メンタルにだいぶやられて何の気力も出なかった。その矢先に、イーキャストがアメリカ市場でデジタル・サイネージを始めるというので、2009年はデジタル・サイネージの勉強で始まった。

気がつくと日本でもデジタル・サイネージに注目が集まり始めていて、コンソーシアムもあった。そこでわかったのは、このビジネスに注目しているのは、主にテレビ広告の人々、日立やパナソニックなどメーカーの人々、そしてDoCoMoなどキャリアの人々だ。彼らがデジタル・サイネージに求めるものはテレビCMの代替。テレビCMのビジネス・モデルをそのままデジタル・サイネージに持ち込みたいのだ。
イーキャストはもともとデジタル・ジュークボックスの分野から参入したので、アプローチの仕方が異なっている。デジタル・サイネージをアプリケーションのプラットフォームとして考えようとしているのだ。ジュークボックスもアプリケーションのひとつであるし、広告もアプリケーションのひとつだ。そういう意味で、イーキャストはデジタル・サイネージをどこかiPhoneと似たメディアだと認識している。ただし、iPhoneが徹底的に個人志向なのに対して、デジタル・サイネージはロケーション志向で公共的と言える。
デジタル・サイネージを見栄えのいい看板を手軽に入れ替えできる「俺様メディア」だととらえるむきもあるが、むしろテレビの代替ととらえるよりも正しい。制作・管理の容易さから言って、デジタル・サイネージは看板界のDTPと考えてさしつかえないからだ。
しかし、デジタル・サイネージが最も革命的なのは、背後にインターネットがあることに間違いない。背後にインターネットがあるとはどういうことか。つまり世界中の看板は自分の手元にあるのと同様ということであり、コンテンツの制作に、必ずしもプロが要らないということであり、既存のインターネット・サービスのマッシュアップができるということだ。デジタル・サイネージのパワーは、実は現場にあるのではなくて、その背後にあると言っていい。
2009年、このような考えで打ち出されたデジタル・サイネージを全く見なかった。イオンがレジの上に導入したデジタル・サイネージはコマーシャルしか流さないテレビだし、新宿伊勢丹の地下鉄通路のデジタル・サイネージはだだの動く看板だ。目新しいだけで、なんの革命ももたらされていない。
11月、コムテックでDT Research社とイーキャスト社ののデジタル・サイネージを並べて展示してみた。イーキャストはなかなかいいアプローチをしていると思った。ぱっと見ただけで、見学者はタッチパネルの操作に引き込まれた。逆に言えば、客との対話型プラットフォームとしてアプリケーション開発者にも魅力的に見えるはずだ。(ただし、設置箇所がまだまだ魅力的ではない。)場所を押さえて行くことがマーケットをリードするには必須であるが、イコール、初期投資が膨大であることが最大の難関だ。



2009年、プライベートではいくつかの棚など木製品をこしらえた以外に、たとえば音楽制作などをまったくしなかった。時間があるのになぜ取り組まないのだと、自分を責めはするのだが気力がわかない。そんな中、ビデオ作品はHDにアップグレードしていくつか制作した。とはいっても、身近な題材をネタにしたものばかりなので、実は作品と言えるようなものではない。
2009年はこのブログを始めた年でもあった。最初はHackintosh関連のメモ的なものから初めて、「とにかく仕上げなくても発信する」ということを目標に初めてみた。だからタイトルはStep by step。そして9月、twitterとの出会いは結構衝撃的だった。名前は聞いたことがあったのだが、全然さわりもしなかった。知らない間にインターネットはこんなにも進んでいたとは。つづけてUSTREAMとダダ漏れを知って衝撃はさらに増した。個人がテレビ・メディアを所有できる時代になっていたとは!しかもフリー。
短い期間で色々吸収し、かつてお世話になった社長が立ち上げた新しい会社のウェブのコンサルをしてみたところ、短期間に結構いいものができた。振り返ると、2009年はたいへんな勉強の年だったようだ。